blog1138

松本敦です。いちおう最高位戦で麻雀してます。ブログは頑張って続ける。内容はテキトー

10の質問

はてなブログ10周年特別お題「はてなブロガーに10の質問

ブログ名もしくはハンドルネームの由来は?

"thx1138"という映画から

G Lucasの出世作だったと思う

もともとは父に履修させられたんだけど、長い間記憶にのこっていて、***1138というのは実質的に僕のマスタPWになってる

blog1138というタイトルを付けた時に(つけられてしまったことにも驚いたけど)、かなり恐れ多い気持ちになったもんだけどもうその時の気持ちも忘れてしまった....

はてなブログを始めたきっかけは?

友人に何か発信すれば?と言われ、当時は既に一部の界隈ではnoteが流行り始めていて、テキトーに逆張りで選んだだけ

まあでも、昔から読んでいたしんざきさんとかのブログに影響されたというのもあるかな

自分で書いたお気に入りの1記事はある?あるならどんな記事?

あると言えばある

greg-area88.hatenablog.com

まあこのあたりだろうか?気合を入れて長い文章を書けば(自分や読者が)満足するというわけでもないと思っているので、僕の文章のわりにはよくまとまっている、と思う

ブログを書きたくなるのはどんなとき?

思いついたことを(自戒を含めて)残しておきたいとき

下書きに保存された記事は何記事? あるならどんなテーマの記事?

5つくらい、どれも内容は決まってるけど、理論が追いついていないから記事として完成していない

自分の記事を読み返すことはある?

たくさんある

たまに恥ずかしくて消したくなるけど、自戒を含めて残してる

好きなはてなブロガーは?

しんざきさん

あとははてブではないけどDan Kogai

はてなブログに一言メッセージを伝えるなら?

100年残そう、カタチを変えて

10年前は何してた?

特別なことはしてなかったけど、堀江貴文風に言うといちばん"はたらいて"いた

この10年を一言でまとめると?

いろんなことが理解できていないことがよく理解できた、有意義でした



こんなんでいいのかな?

論理パーテと物理パーテ

いろいろ言いたいことが溜まってるけど、とりあえず昨日のリーグ戦の反省から

 

3回戦が酷かった

 

親のリーチを受けて、どうしても233mからどちらか選ばないといけないシーン(4mが3枚見え)

 

親の捨牌、宣言牌の3つ前に1mが落ちてるのね

 

これって良くある、1mが手出しなら3m切るし、ツモ切りなら2m切るシーン

 

で、覚えてないんだよね酷い

 

数瞬前まで絶対覚えてたのに、ふと麻雀以外のことを考えてた隙に飛んでしまった

 

覚えてたこと自体は覚えてるので、もう呆れてしまって、(まあ時間かけたら思い出せたかも知らないがそんな訳にもいかないから)形で2m切ってしまった。裏ドラなくて良かった。久しぶりにチョーマを持つ手が震えた

 

なんというか、同じことに集中できない病気なので、複数スレッドで考えるのは癖になってるし、そこを論理的なパーテションで分けるのは苦手じゃない

 

だから個人的には悪いことではなくて、昨日は全体的に凄い集中してたんだけど、たぶん仕事でややこしいことになってるから全体的にCPUの稼働率が高かったんですね

 

結果的に、いろいろ考えてできたし、結果もついてきたんだけど、手出しツモ切りは論理的なパーテションで分かれていて、メモリに格納されてる情報なので、気を抜くと飛んでいってしまう

 

ちゃんと繋ぎとめておかないと、これからはもっと増えていくんだろうなと

 

この話って、実は三月のライオンの桐山くんの話(恋?に悩む桐山くんが数年越しの詰将棋の答えに気づくくだり)と同じなんだけど、あれ読んだ時にあーこういう概念なのかと思ったから、同じ病気の人にはよい参考書だと思います

 

 

 

あとオーラス、Aさん156→僕79→須藤さん4→Bさんみたいな点差で(須藤さんだけ名前出してるのは贔屓ではなくて、単に他の2人を忘れた)僕の手牌が

 

4444666899p ポン2p

 

出バイが満直でトップ

 

ここに3p引いたんだけど、2p純カラ、5p3枚切れてるのね

 

流石に9p→8p出あがりとか、9p→9pの方がいいかと思ってツモ切った(4pも考えたけど3p2枚切れなんでやめた)

 

まあ次のピンズが5pですね

 

8pが少なくなってたからテンパイは取るんだけど、フリテンの3-6-9(4枚)かペン7(2枚)の選択なのね

 

まあ8p切ったんだけど、万が一の満直もあるんだし9p切れば良かった気がする

 

8p切ったら799pからチーされて、待ちがほぼなくなった上に、次に持ってきた生牌の南を切ってしまい、デバサイの3,900打って3着に落ちた。酷すぎる

 

巌の命日にこんな麻雀してちゃいかんよなぁ…

 

 

 

 

 

インターネットとの和解

僕は両親がプログラマだったので、コンピュータに触れたのが普通の人より少し早かった。僕が物心ついたときに母が使っていたマシンはおそらくPC8801で、僕が勉強するちゃぶ台からは母が仕事をしていた(母は富士通の孫請けで数人のチームでアプリケーションを作っていた)のが見え、うちのお母さんは友達の家とずいぶん違うなぁなどと思っていた。僕を含めて、母子家庭が集まるグループのようなものが幼稚園にできていて、たまに友達の家に泊まりに行ったりしていたのだ。いま思えば、友達のお母さんは水商売の人が多かったのだと思う。

話を戻して、そのころのデータのやりとりとか納品はどうしていたかというと、5インチのフロッピーに書きこんでそれを段ボールで挟み、ガムテープでグルグル巻きにして箱に詰めて発送していた。よく考えると不思議なのは、なんで何十枚もフロッピーを詰めていたのかということで、当時のプログラムのソースコードがそんなに容量を要するとは思えず、5インチフロッピーの容量は800kbくらいあったはずなのであれはいったい何だったのだろう。もしかしたら、発注元から送られてきた開発環境的なものが大容量だけだったのかもしれない。

さて当然、僕が初めて触れたマシンも8801なんだけど、最初は母の仕事を手伝っていた。コードを書く仕事の他に単純な打ち込み系の仕事もあり、母が家事をしている時によく替わりに作業していたのだ。当時は18:00からナイトライダーというアメリカのカーアクションドラマが放送されていて、それを見ながら商工会議所の会社データを打ち込むのが楽しみだった。これがおそらく、小学校にあがった辺りの時期だ。

その後、母が再婚すると我が家のPC環境は(僕にとって)大きく改善された。父は会社からマシンを持ち帰らなかった、というか当時はノートPCはそんなに気軽なものではなかったが、おそらく会社でサボるときに遊んでいたゲームを持ち帰ってきたので、僕にとってPCはゲーム機になったのだ。当時はOSがWindows3.1になっていたのも、MS-DOSに苦戦していた僕には朗報だった。あれがなければ、僕もそれなりのプログラマになれていたのではないかとも思うがとにかく、当時はイギリス?のゲームをローカライズしたポピュラスというなんとも形容し難い戦争ゲーム(1vs1でやる)をよく遊んでいた。いま思うと、あの時は家にいながら対人戦ができていたんだけど、あれはインターネット接続ではなく別の何か、Pear2Pearの接続だったはず。

中学に入学して、学校の技術室、要は図工の部屋に入ると、そこには黒いFMTOWNSが並んでいた。僕は内心、"うちのマシンより落ちるなぁ"と思ったんだけど、国立校で予算のない中、かなり頑張って設置されたと思うし、あのTOWNSで学んでいたパ研(パソコン研究会)の連中は今もGoogleで活躍したりしているわけで、すごく意味のあるマシンだと言える。僕にはあまり影響なかったけど。

そして、やっとこの辺りでインターネットというものを僕も(遅ればせながら)認知した。あれだけPCに触れていながら、なぜ普通の人より遅かったのかと言うと、家の環境が充分に面白かったので、これが世界中につながることの価値が想像できていなかったのだと思う。実際、www(いわゆる、ホームページ)を初めて見た時もそこまで感動しなかったし、PostPetでメールとかもしていたけど、電話でいいやんと思っていた。うちの家族も似たようなもので、これは後で聞いたんだけど、そもそも僕が物心ついた時に母が作っていたあのアプリケーションはキャプテンシステム向けだったらしい。キャプテンシステムというのは、全国の拠点に置かれた"キャプテン端末"から旅行の予約とか商品の購入とかができるもので、今で言うとLoppiみたいな、コンビニにあるマルチメディア端末が近いと思う。もちろん今のLoppiはインターネット上に存在してるわけだけど、当時の我が家の感覚からしたら、"あんな、不特定多数とつながる意味のわからんもんはいらん"という感じだった。

僕がこれらを必要とし始めたのは高校卒業後で、主に"パチンコの攻略サイトが見たい"と"mixiが面白い"という二つの動機によるところが大きい。そしてそれをきっかけとして、今まで閉じていた僕のコンピュータとの付き合い方は他者を巻き込んだ|まれた形に変わっていく事になる。大学の図書館で借りた「科学する麻雀」には分析用のソースコードが書いてあり、それを写経しているうちにネットでもっと進んだ研究を見つけてそっちに乗り換えたり、東大の麻雀大会で運営と総評をやってALL東大というメディアに記事を書いたり、当時の僕にとって麻雀とコンピュータを結びつけたのもまたインターネットだった。

やがて、渋谷の雀荘で知り合った先輩と一緒にネットベンチャー(今でいうスタートアップ)をやろうという事になり、目黒の駅前の一室で投資情報サイトの企画を考える日々が始まった。これは色々な意味で、僕にとっても周りにとっても良くない結果をもたらす事になるんだけど、始めた当時はとても楽しく、まだリリースもしていないのに、やっとインターネットの一員になれた気さえしていた。ところが、事業の見通しが見えなくなってくると同時に、要求されるエンジニアとしての知識に限界が来て(まあ僕も無能だった)だんだん開発についていけなくなってしまった。仕事はいくらでもあるので居場所はあったんだけど、当時はWordPressみたいな便利なものはなかったので、それなりネットワークの知識がないと大規模な会員制サイトを構築することは難しかった。最初は何とか粘っていたがついに諦めてしまい、サービスは高校の同級生に泣きついて彼に開発してもらう事になる。この時はとてもショックで、自分は所詮インターネットを"使う側"の人間なのだ、どこまでいってもお客さんなのだという事実を飲み込みきれないトラウマは、その後も余計なこだわりに形を変えて僕の中に残る事になる。
※何とまだあの頃のサービスの残滓が見つかって驚愕
prtimes.jp


そうこうしているうちに会社員になり、携帯サイトのコンテンツ配信なんかを担当する事になったんだけど、ここでも早速、"使う側"でいたくないという例のこだわりが邪魔をすることになる。インターネットそのものは諦めたとしても、このiモードというプラットフォームはなんだ、そこにさらにタダ乗り(いやタダではないんだけど)している僕の担当サービスはなんて無意味なんだ(→こんなことは誰でもできるじゃないか)、みたいなことを考えていては真面目に働くわけもなく、結果ほとんどの時間を、頼まれてもいない社内向けの業務システムを作る事に費やす事になる。まあこれは一応は習作という扱いにはしてもらったものの、その後も転職する時まで変なこだわりは捨てられなかった。

その後、コンサルになると通信会社と仕事をする事になったんだけど、この時の体験が個人的には大きな財産になっている。インターネットの正しい理解だとか、"時間と空間を越えるためのインターネット"、"通信インフラを水や空気のような当たり前のものに"みたいな、一見するとちょっと小馬鹿にしたくなるような言葉も、中の人を見ることで腑に落ちるし共感できるのだ。同時に、当時の通信会社は既に"使う側"だったはずのGoogle(とその他OTT)にやられっぱなしで、本来はTier1だった、つまり世の中のインターネットの中心にあり、誰しもが"繋がりたい"存在だった国内最強ISPも、Googleに"繋がってもらう"方法を考えなければならなかった。ちなみにこれは今もそうで、今日日のインターネットトラフィックの6割近くをYoutubeが占めている、らしい。

それはともかく、僕はこの時の経験があったから、"物も技術も使いよう"であるという当たり前の事にやっと気づけたし、一種のトラウマからも解放されることができた。個人でHPを構えて文章を吊るしておく方が恥ずかしくて(いや、やりたければやったらいいんだけど)、いま書いているようなブログサービスの方がスマートだと思えるようになった。コンピュータそのものが作れなくても、自分で言語が作れなくても、Pythonのコードが書ければデータ分析はできるし、そんなことができなくても、その結果を使って価値を出す方法はおそらく存在するだろう。10年以上かけてやっと、インターネットとの和解が成立しました。



使う側としての話ももちろんあるけど、大して面白くならなそうなので、今日言いたいことはこれくらい

将棋と麻雀の組み合わせの話、あとAIがやっていること

表題通りのことが話したいんですが。この手の話の前提として、数のスケールの目線をちゃんと持っておく必要がある

数(すう)の中には無限に存在するものとしないものがある(そして数の種類そのものもおそらく無限に存在する、というか作り出すことができる)んだけど、その中でも身近な数というと自然数になると思う。この後の話は自然数の問題として扱っても良いのでそのようにします

で、無限に存在すると言っても、大きさにはランクをつけたい。AとBを比べたときに、(大小だけでなく)その違いがドングリの背比べなのか、蟻と巨人なのか、わかっていた方がいいのだから

ひとまず、ロバート・ムナフォが1996年(?)に発表した定義によると

クラス0の数:{0}-{6}まで
(まあ自然数って言っちゃったから本当は0は入らないけど)これは、一瞬で認識できる数。まあ、6つくらいなら一瞬で何個かわかるよね?
クラス1の数:{6}-{10^6}まで
クラス0の数が一瞬で認識できるということは、クラス1の数(0の数が6個まで)は一瞬で"大きさが"認識できるはず。まあ、日常的に扱う数の上限もこのあたりではないかと思う
クラス2の数:{10^6}-{10^{10^{6}}}まで
クラス1の上限が100万なので、クラス2の上限はそれを指数の肩に乗せた100万桁までの数になる。実は、自然数という定義に厳密に拘るとこの辺りが上限になるかもしれない。宇宙に存在する陽子の総数が{10^{80}}-{10^{85}}と言われているからだ
※ちなみに、いわゆる無量大数{10^{68}}Googleの由来になったGoogol{10^{100}}なので、クラス2の数は実用表記上もほぼ上限と考えてよい

より上位のクラス(クラス自体も無限に存在するわけだが)の数については別の機会にするとして、表題の内容に関してはこの程度の大きさまでわかっていれば充分なので本題に戻ることにする



将棋の局面数
将棋の局面の組み合わせはどの程度だろうか?多めに見積もると、81マスに置ける駒の種類が歩、と、香、成香、桂、成桂、銀、成銀、金、角、馬、飛車、龍、玉の14通り。先後の向きを考えて28通り、置かれていない時もあるので29通りだとすると、組み合わせ数"L"としては
L : {29^{81}} ≒ 2.846 \times {10^{118}}
ということで、いきなりクラス1の上限を超えているんだけど、これはそもそも駒の枚数条件を考慮していないので多めにも程がある。実際にはL : {10^{70}}程度と考えられるようだ。無量大数と同じ程度だというのはやや面白い
(参考:https://www.nara-wu.ac.jp/math/personal/shinoda/legal.pdf)
さて、この組み合わせ数なんだけど、これが現状のコンピュータでは取り扱いできないオーダーであることを理解したい。一局面に仮に何がしかの評価をしたとして、その結果を1バイトで保存(その局面がどちらの勝ちかだけ書き込まれているイメージ)できたとする。1テラバイトは{2^{40}} ≒ {10^{12}} バイトなので、Lの評価結果の保存に必要な容量は{10^{50}}TBとかのオーダーになる。これがどの程度かと言うと、地球に存在する全ての原子が1TBのストレージに化けたとしてもまだ足りないので、そもそも計算時間を考えるまでもないレベルであることが明白だ

あらかじめ全局面のリストを作っておき、ある"勝ち局面"を設定して、そこに変化可能かどうかを評価することで全ての局面の勝ち負けを評価するような、将棋の神様のようなことは不可能なことがわかる

将棋AIがやっていること
では今の将棋AIは何をしているかと言うと、終盤のどちらかが勝ちか計算できる場面を除けば、結局は局面の期待値(評価値)を計算している。プロ棋士の形勢判断は
・駒割
・(実質的な)手番
・玉形
・駒の働き
あたりがよく語られているけど、これがBonanzaになると
・駒割
・王と他の駒2つの位置(KPP)
・王と玉と他の駒の位置(KKP)
・王と王に隣接した味方の駒とその他の味方の駒3つの位置
・隣接しあった駒2つの位置関係
・竜馬飛角桂香の利き上にいる駒の種類
・竜馬飛角香が動ける枡の数
・ピンされている(動くと玉が取られる)駒の種類、方向、王との距離
・角と同じ色の枡にいる味方の歩の数
・歩桂銀が前進できるか
・竜飛香の前、後の歩
・王の周囲25枡の利きの配置
などなどをパラメータにして学習しているようだ
(保木さん本人による説明:https://www.ipsj.or.jp/10jigyo/forum/software-j2008/hoki-print.pdf)

ただ、これは2006年のBonanzaメソッドの話なので、今はもっとあると思われるのと、最近の強いソフトは勝ちがありそうな局面では専用のアルゴリズムで必勝の変化を読んでいるらしい。確か数年前のコンピュータ将棋選手権の決勝でelmoが勝ちを宣言した時の読み筋は"mate64"つまり部分的とはいえ64手先までの変化を読み切った事になる。藤井聡太斎藤慎太郎あたりの終盤力とその強さを考えれば、elmoが実戦的にもどれだけ強いかは推して知るべし

ここまでまとめると、
・将棋の局面を網羅することはおそらく人類の歴史の中では不可能
・期待値計算であれば評価のパラメータを増やすことで精度が向上する
と、言ってしまって良いだろう

ちなみに、将棋よりはるかに局面数の少ないオセロの場合でも、局面数は64マスに白、黒、なしの3通りで
{3^{64}} ≒ 3.43 \times {10^{30}}
程度はあり、局面を網羅するのはやはり不可能に近い。指数の発散というのは恐ろしいものなのだ(もっともオセロは指し手の制約が多いので、実現可能局面はこれよりもさらに少ないが)

麻雀の局面数
さて、麻雀の局面数"M"はどの程度だろうか?これの良い計算方法はまだわかっていないけど、とりあえず牌山の組み合わせは比較的容易に求められる。136枚の牌の並べかたは136!で、実際には4枚ずつ34種類の同じもののある順列なので
M : \frac{136!}{4!^{34}} ≒ 4.236 \times {10^{186}}
将棋の局面数を余裕で超えている。ここにさらに、"毎巡14通り程度の選択が最大20回程度繰り返される組み合わせ"を掛け合わせれば答えに近づきそうではあるんだけど、意味がなさそうだ

ゲーム性の性質を勘案して、"一人から見えている組み合わせ"のみ数え上げてはどうだろうか。最初は15枚(手牌+ドラ表)から始まり、終局時には最大で80枚ほど見えている。それぞれ34通りあるので、多めに見積もって
M' : {34^{80}} ≒ 3.298 \times {10^{122}}
うーんだめか、まあ、将棋に比べて牌の種類が多く、81マスが80枚に変わっているだけなのでわかっていたことではある
※ちなみに、本当はさらに15枚〜80枚の間の組み合わせも全て掛け合わせるんだけど、発散が速すぎて誤差の範囲なので割愛する


麻雀AIは何をするべきか
実は、これを書いている時点で僕はSuperPhoenixがやっていることをほとんど調べていない。なので書けることがないんだけど、とりあえずよくある誤解として"将棋と違って麻雀は完全情報ゲームじゃないので実用アルゴリズムの考え方も流用できない"というもの。前述の通り、将棋AIも結局は期待値計算しているので実はあまり変わらない(もちろん、目的関数と損失関数は全く違うものになるが、長くなるので割愛)。むしろ次元を下げる工夫や計算リソースをケチるための局面の同一視のやり方などは大いに参考になる|されるべきだろう


尻切れトンボになっているんだけど、誰かが麻雀AIに興味を持ってくれることを大いに期待しています

ウヒョ助さんのNoteを読んで思ったこと

これを読んで、たいへん面白かったんだけど、ちょっと違うかな?と思ったところ


内容としては、ショーマンシップというか、ファン目線の意識に不足ありってことだと思うんですが、ドリブンズは3人でいいって思ってる一介のファンからすると「目的が違うんだからしかたない」という話になってしまう

その、平行線にしかならないであろう話を解き明かすのは大して意味がないんですが、ドリブンズのモチベーションが勝つことのみであるかのように語られているのが、少し違和感があるんですね、「勝ちたい」の裏にあるのは何なのか、もう少し考えてみてもいいんじゃないかなと



何が言いたいかと言うと、僕がドリブンズを、というか園田賢という選手を応援する理由は、マージャンというゲームを終わらせに行ってる(ように見える)からなんですね
※以下、一言で言えば競技脳乙って話です
※本人とこの話をしたことはないので、あくまで個人の印象です


どういうことか、これは将棋で例えたほうがわかりやすいと思うんだけど

羽生さんが出てきたときに、「将棋というゲームに寿命があるとすれば、その寿命を100年縮めた」と言われてたのは知っている人も多いだろう

実際に100年かどうかはどうでもいいんだけど、プロ棋士が共通認識的に、根底に持っている目標のうちの一つに、将棋というゲームを解き明かすということがあるはずなんだ

将棋の神様から見たら、正解以外はほとんど全部が悪手なわけで、勝った負けた以前に正解を知りたいっていう欲求はよく理解できる(もっとも、最近の若い先生は勝負師寄りかもしれないが)

そして、これが大事なんだけど、この真理を追究しようとする行動は、創作活動からは結構離れた座標にある

これも、僕の表現よりもはるかに良い言葉を、尊敬する小飼弾から引用してしまおう

"数学者たちは、発明しない。
数学者たちは、発見する。
彼らが見つけた真理は、彼らがそれを見つける以前どころか人類が存在する前から存在していたはずなのだから。
それを「発明」と呼ぶのは、数学者たちの誠意に対する愚弄ではないか。"

何かを解き明かそうとする熱意の源泉は科学なのだ、芸術や創作ではない、そこに感性や感動はあっても同情はない

その姿勢に共感する人は少ないかもしれないけど、コンテンツとしてのPayback rateだけを追求していても、それは本当の普及とは言えないのではないか、ピラミッドは裾野だけ広げれば勝手に高くなるのか、誰かが引き上げる必要があるのではないか

あの将棋界であっても、真理の山を先陣切って(協力し合って)登っていると言えるのはトッププロ+一部のAIだけなのではないか

麻雀ならどうだろうか、もはや10人に満たないのではないか
※このような表現をすると、将棋と麻雀のゲーム性の違いが云々という話がよく出てくるんだけど、重要ではないので説明は割愛する


ウヒョ助さんはコンテンツに携わるプロであって、昨今のコンテンツ流通の形態変化も敏感に感じられていると思う

C2Cを起点にしてメディアは多様化しているし、結果として稼ぐ方法論も多様化した

"観られてなんぼ"の傾向はますます強くなってゆくだろう

そういう意味でウヒョ助さんの意見は、総体的に見ればすごく正しいのだけれど、Mリーグの多様性というか、コンテンツの幅として残されるべき可能性をすべて摘んでしまうのは勿体ないのではないかと思うのだ

オカルトバスターズから20年以上、科学する麻雀から15年経ったいま、僕の知る限り、一番このゲームを"科学"しているのは園田賢なのだ



長々と書いてきたが、要はプロレスで言えばストロングスタイルみたいなもんで、前田日明だと思って、陽の目が当たるまで見守る人がいてもいいんじゃないですかね

今日書きたいことはこれくらい

正月徒然

はい、あけましておめでとうございます

 

正月は何もする気なかったんだけど、思いつきでドライブに行きました

 

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箱根は何度もいってるのに、この神社は初めてじゃないかな

 

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これアパホテルなんだけど、正月だから鶴なのか、いつもなのかよくわからん

 

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雑にコメでも炊こうかなーと思って

 

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研いでから雑に水きって、適当な時間(相席食堂一本分くらい)浸水させる。おそらく、冬場は室温と湿度の問題で緩めに水きった方が良いでしょう

 

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研ぐ前のコメと水を1:1.1くらいで対応させるイメージで、酒は気分で入れる(今日はめっちゃいった)

 

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下ではコメを炊いていて、上では熱湯で牛肉に湯通ししている。油が浮いてるのは香りづけの胡麻油です。(やらなくてよい)あと、浸透圧でスカスカになるのがイヤなので少し塩入れてる(やらなくてよい)

 

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肉はこれくらいと、別途で湯通しした白滝を分けておく

 

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コメはThermosのおかげで品質が安定しています

 

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玉ねぎは水から火をいれます。理由はとくにない

 

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ここだけ大事かな。玉ねぎに味をつけたら、火を止めてから肉を入れる。(煮込まない)このためにわざわざ別に火を通している。煮込んだのもあれはあれでいいんだけど、全体の味が均一になりすぎて個人的にはイマイチですね。なんで鍋の中が熱いうちにさっと揺すって完成

 

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まあこんなもんでしょう。味が足りない人はテキトーに追ってください。よかったですね

 

 

 

 

 

 

 

 

堂島川徒然

※先に断っておくと完全に昔話おじさんなのと、記憶違いもありそう

 

 

大阪に宿泊していて、やることないので散歩している。リーガロイヤルに泊まってて、中之島を川上の方に向かって歩くんだけど

 

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これがスタート地点、玉江橋のところのABC朝日放送ですね

 

5年くらい前にTechCrunchでABCの人と話して、いろいろあって仕事しましょうということになり、しばらく通ったんだった。仕事は最初から微妙な感じだったが、食堂のミックスジュース毎回奢ってくれたのと、熱闘甲子園に詳しくなりましたね。よかったですね

 

さらに進むと

 

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これは日銀、そしてその先にあるのが

 

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はい、中央公会堂ですね懐かしい

 

 

この話も何度もしてるんだけど、15年近く前にここで中国麻将の世界選手権予選があったんですね(長村さんと初めて会った時でもある。その時は別に話さなかったけど)

 

大会自体は微妙なもので、たしか100とか?集めて4回やって着順の合計だけ競います偉いのは上位2名ですみたいなおいおい最初ラスだったら帰っていいんだっけみたいな奴だったんですが

 

途中で長村さんと、顧さん(コホウセイさん)という有楽町の錦江荘のオーナーと当たったんですね

 

顧さんが碰碰推不倒一色三節高みたいなのをバチコン引き和了って(中国式の習いある人なら分かると思うんだけど、これはすごいたかい)点数を数え始めるんだけど、納得いかないのか何度も何度も数えるんですよ

 

こっちは時間切れちゃうし、もういいでしょみたいな感じで、まあ結局そのまま点棒払って次に行って、僕はまあ3着でお疲れ様でしたって感じなんだけど、後から顧さんがこっち来てやっと思い出したって言うのね

 

まあこれもあるあるなんだけど、無字を忘れてたんだね。ありがちなやつ

 

まあ結果には全く関係ないんだけど、あーそうですねってなって、そのあと何年も会うたびにその話したりしてたので、僕がそのあとも何年か中国式やってたのはほとんど顧さんのご縁みたいなところがありましたね(偉そうな言い方だけど、そのような意図はない)

 

顧さんもかなり前に亡くなって、錦江荘も今はどうなってるか知らないんだけど、たまには中国式のセットでも組んでみようかな(緩募)