blog1138

松本敦です。いちおう最高位戦で麻雀してます。ブログは頑張って続ける。内容はテキトー

ウヒョ助さんのNoteを読んで思ったこと

これを読んで、たいへん面白かったんだけど、ちょっと違うかな?と思ったところ


内容としては、ショーマンシップというか、ファン目線の意識に不足ありってことだと思うんですが、ドリブンズは3人でいいって思ってる一介のファンからすると「目的が違うんだからしかたない」という話になってしまう

その、平行線にしかならないであろう話を解き明かすのは大して意味がないんですが、ドリブンズのモチベーションが勝つことのみであるかのように語られているのが、少し違和感があるんですね、「勝ちたい」の裏にあるのは何なのか、もう少し考えてみてもいいんじゃないかなと



何が言いたいかと言うと、僕がドリブンズを、というか園田賢という選手を応援する理由は、マージャンというゲームを終わらせに行ってる(ように見える)からなんですね
※以下、一言で言えば競技脳乙って話です
※本人とこの話をしたことはないので、あくまで個人の印象です


どういうことか、これは将棋で例えたほうがわかりやすいと思うんだけど

羽生さんが出てきたときに、「将棋というゲームに寿命があるとすれば、その寿命を100年縮めた」と言われてたのは知っている人も多いだろう

実際に100年かどうかはどうでもいいんだけど、プロ棋士が共通認識的に、根底に持っている目標のうちの一つに、将棋というゲームを解き明かすということがあるはずなんだ

将棋の神様から見たら、正解以外はほとんど全部が悪手なわけで、勝った負けた以前に正解を知りたいっていう欲求はよく理解できる(もっとも、最近の若い先生は勝負師寄りかもしれないが)

そして、これが大事なんだけど、この真理を追究しようとする行動は、創作活動からは結構離れた座標にある

これも、僕の表現よりもはるかに良い言葉を、尊敬する小飼弾から引用してしまおう

"数学者たちは、発明しない。
数学者たちは、発見する。
彼らが見つけた真理は、彼らがそれを見つける以前どころか人類が存在する前から存在していたはずなのだから。
それを「発明」と呼ぶのは、数学者たちの誠意に対する愚弄ではないか。"

何かを解き明かそうとする熱意の源泉は科学なのだ、芸術や創作ではない、そこに感性や感動はあっても同情はない

その姿勢に共感する人は少ないかもしれないけど、コンテンツとしてのPayback rateだけを追求していても、それは本当の普及とは言えないのではないか、ピラミッドは裾野だけ広げれば勝手に高くなるのか、誰かが引き上げる必要があるのではないか

あの将棋界であっても、真理の山を先陣切って(協力し合って)登っていると言えるのはトッププロ+一部のAIだけなのではないか

麻雀ならどうだろうか、もはや10人に満たないのではないか
※このような表現をすると、将棋と麻雀のゲーム性の違いが云々という話がよく出てくるんだけど、重要ではないので説明は割愛する


ウヒョ助さんはコンテンツに携わるプロであって、昨今のコンテンツ流通の形態変化も敏感に感じられていると思う

C2Cを起点にしてメディアは多様化しているし、結果として稼ぐ方法論も多様化した

"観られてなんぼ"の傾向はますます強くなってゆくだろう

そういう意味でウヒョ助さんの意見は、総体的に見ればすごく正しいのだけれど、Mリーグの多様性というか、コンテンツの幅として残されるべき可能性をすべて摘んでしまうのは勿体ないのではないかと思うのだ

オカルトバスターズから20年以上、科学する麻雀から15年経ったいま、僕の知る限り、一番このゲームを"科学"しているのは園田賢なのだ



長々と書いてきたが、要はプロレスで言えばストロングスタイルみたいなもんで、前田日明だと思って、陽の目が当たるまで見守る人がいてもいいんじゃないですかね

今日書きたいことはこれくらい